神が宿りし神社


私たちはいつから神社に参拝するようになったのでしょうか?

私たちがイメージする神社の形になったのは、よくわかっていないようです。

神様が祭られ、そこに神社がどのように関わっているのか、正しい答えはつきません。


「八百万の神」い言われるように、神様はたくさんおられるようです。

文化庁の統計によると、全国の神社数は約8万6000社あると言う事です。

多くの神様とたくさんの神社、そして人との関りを考えていきます。

神社の始まり

痕跡からするとはっきりとわかるようになったのは、4世紀後半のようです。

磐座に神を祭っていた時期が長かったようです。

山と人里の境は神様と人との境界線にあたる場所です。

昔は、そこに最高の料理を持っていきおもてなしたとされています。

日本書紀によると、天照大神が現在の伊勢神宮に鎮座したのが、垂仁天皇25年の事とされます。西暦で言えば紀元前5年です。

考古学的に確認されているわけではないです。


古い祭祀の遺構が詳しく調査されているのは、宗像大社(福岡県宗像市)と大神神社(奈良県桜井市)です。

宗像大社の沖津宮が鎮座する沖ノ島での調査では、4世紀後半から10世紀初頭にかけての祭祀遺構が確認され、多くの遺物が採取されました。

沖ノ島は550年もの間祭祀が続けられました。

大神神社では拝殿奥の禁足地や鎮座する三輪山の西麓に5~7世紀の祭祀遺跡が多く残っています。

現在は拝殿越しに御神体の三輪山を拝みますが、昔は山中や山麓の磐座で祭祀を営んでいたようです。

1000年以上も続いた神仏習合

伝来した当初の仏は「外国の神」として日本の神と同類とみなされていました。

やがて仏教が本格的に広まっていき、神社のそばに神宮司を建てたり神前で読経が行われるようになりました。

神のためにお経を読んで供養すると、解脱して神は仏教を守護する存在になるとされたのです。

平安時代になると、神と仏の関係はさらに進み、日本の神々はインドの仏が日本の人々を救うため化身した仮の姿だと考えられるようになったようです。

このような考えが中近世まで続きます。


近世になってからは、現世否定の思想である仏教に対する儒者たちの反発が厳しくなる。

国学者たちは外来宗教である仏教を排斥し、江戸時代のうちに神仏を分離する地域もありました。

そして明治新政府の神仏分離政策により現在の神社は神社、寺は寺の形になったのです。

人が神になる

人を祭神とする信仰と言えば、菅原道真を祭る天神信仰。

天神信仰の中心は北野天満宮(京都市)です。

祭神が学問・詩歌の神なので連歌会が行われていました。豊臣秀吉が主催した北野大茶会が有名です。

秀吉が造らせた京都を囲む土塁(敵の侵入を防ぐ土製の壁)が数百メートムにわたって現存しています。

現在では受験合格祈願で多くの中高生が参拝しに訪れます。


藤原氏出身ではないのに、朝廷から右大臣に任命されていた道真は、流言により無実の罪で九州の地に左遷されてしまい2年後にこの地で亡くなるのでした。

菅原道真を祭るもう一つの神社が、大宰府天満宮(福岡県太宰府市)です。

その後道真の子孫が京から下向して安楽寺の別当となります。

まとめ

いろいろと難しい話になってしまいましたが、たまには神社に参拝に行ってみてはいかがでしょうか?

有名な神社に行ければ良いのですが、そう簡単に行く事ができなければ近所の神社で良いのです。

神様にあなたの近況を報告しましょう。

良い出来事でも悩み事でも、あなたの話を聞いてくれる神様がいます。

今は神社には世界中から観光客が来ます。

それほど重要な場所なのです。

神社にお参りすると、清々しい気持ちになりますよ。

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